2013年04月01日

津軽 太宰治



津軽に生まれ、育った太宰治が、戦時下に約3週間かけて津軽地方を一周した「ふるさと再発見」の書。

これまで「太宰治」というと、小難しくて気難しい印象がありました。
「永遠に中二病まっただなか」な、激イタな感じです。

でも「津軽」を読んでそのイメージが変わりました。
太宰治、何だかユーモアをもっているのです。
それでいて、言っていることがわかりやすく、的確な気がします。
お皿に愚かしく積まれてある五切れのやきざかな(それはもう鯛ではない、単なるやきざかなだ)を眺めて、私は、泣きたく思った。

太宰が、道中、鯛を購入して(それを運んできたところが「奇怪の図」だそうな)、お宿に持込みました。
ぼんやりとした女中さんに「3つに切らなくていいから」と言ったら(一匹まるごと料理をしてほしかったらしい)五個に切られてできました♪と言うエピソードです。

それだけのことなのに、根にもってグチグチ言っているのが、自意識過剰ですよね。
でも、棘のある表現ではなく、笑いに昇華しているところが素晴らしい。

些細なことに気づく感受性をもち、気づいたことに傷つくだけではなく、笑いに昇華することを「ユーモア」というのでしょう。

太宰のように敏感な人間だったら、笑いに昇華しなければ苦しいだけのこと。
それが晩年になって(と、言っても30代後半ですが)、わかったのかもしれません。


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2013年03月25日

ハピネス 桐野夏生


有沙は地面に足を着けたくなって、思わず足踏みをした。

桐野夏生さんの近著です。
憧れの「タワマン(タワーマンション)」に暮らす若い母親の有沙。
おしゃれなタワマンママたちのグループに入っているのですが、完全には、なじめないでいます。

タワマンママたちは、そこそこ稼ぎのある夫と結婚をし、専業主婦をしています。
子連れでママ友同士で集まり、おしゃべりをして毎日を過ごしているようです。

そういう人生に憧れたり、そういう人生が幸せだったりする方もいらっしゃるでしょうが、主人公の有沙は、居心地の悪さを感じています。

それは夫と別居中であったり、親のことを誤摩化してつげていたり、と言ったこともあります。
何故、誤摩化しを?と言うと「見栄」でしょうか?

「見栄」をはらないと、生きていけない場所って、つらいですよね。

憧れだった場所(タワマンでの幸せな結婚生活)に、やっとたどり着きました。
なじもうと努力したけど、結局、場違いでした。
紆余曲折の末、やっと、気がつきました。
そして、行動を起こすまでが、女の嫌な部分まであますところなく描かれています。

「タワマン」が身の丈にあった場所の方もいれば、不釣り合いな方もいるでしょう。
有沙の場合、「タワマン」は、自分の居場所ではなかったようです。

自分の今いる場所を「似合わない」と認めるのはつらいことですが、認めないことには次にすすめません。
認めることができれば、前を向けるはずです。
有沙が、自分なりの人生を着実に歩んでいくことを願ってやみません。

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2013年03月24日

人間失格 古屋兎丸(原案:太宰治)

年末年始にはまった古屋兎丸氏が、あの太宰治の「人間失格」を脚色して漫画にした作品です。

自分は天才なのです。女に寄生する天才・・・僕にはもうこれしか生きていくすべがないのです(葉蔵)

俺の見てきた中で最低の男だマジで・・・なのに、どうして女はお前を助ける?(堀木)
確かに、葉蔵みたいな人って実在しますよね。
「女の人に寄生する天才」とはいかなくても、「女の人に引立ててもらう天才」が。
今までいた場所で、ひとりづつはいました。

そんな「葉蔵くん」を引立てるのは、世の中に、あまたと存在する母性本能をもてあましている女性です。
「誰かに何かをしてあげたくて、しょうがない!」という方たちです。

そんなところに「葉蔵くん」は、すっぽりはまるようです。
どうってことがなさそうな「葉蔵くん」のライブに、せっせと通ったりします。

「葉蔵くん」タイプに、まったく母性を感じない自分からすると「そんなに尽くして、楽しいの?」なのですが、ついつい支えたくなってしまうようです。
どう見たって「片利共生」なのですが、本人たちは意に介しません。

「何かを他人にしてあげる」は、自己満足なので、寄生されている本人が、それでよければ、それでいいのでしょう。

「葉蔵くん」も、寄生する術を心得ているので、適度にお礼をしたり、受けた恩を(何十分の一でも)返そう!という気はあるし、骨までしゃぶるようなことはしません。

下駄を履かせてもらっていることを承知の上で、上手に活用するならよいのですが、「自分の実力」と勘違いしている「葉蔵くん」が多い気がします。

そうこうしているうちに、「葉蔵くん」が、本当の「実力」「人間性」を身につけ、引立ててくれる人と、トラブルを起こすことなく、無事に卒業できるか、否かで、「葉蔵くん」の、その後の人生が大きく決まる気がしますね。

今までであった「葉蔵くん」の末路が気になります。

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2013年03月23日

戦場のメリークリスマス 大島渚監督



大島渚監督の追悼上映がご近所でされていたので、みてきました。
この「戦場のメリークリスマス」は、自分が小学生の頃に、色物or傑作と評価が分かれた作品です。
地元での上映は何かのご縁!として、見てきました。

第二次世界大戦末期のジャワにある日本軍の俘虜キャンプで起こるあれこれのお話です。
物語は4人の男たちを軸にすすんでいきます。

叩き上げで暴力的でも人間味あふれる鬼軍曹:ハラ。
2.26事件に加われず、死に場所を求めているであろう過酷な俘虜施設にはインテリ、デリケート、かつナイーブ過ぎるヨノイ大佐。
酸いも甘いも噛み分けた日本シンパのローレンス。
弟を守ってやれなかった罪悪感を抱えているデビット・ボウイ演じるセルビア。

誰もが「I'm right(わたしは正しい!)」と信じ、ぶつかるのですが、「正しいもの」は、その時の権力によって変わるので、「正しいものなど、どこにもない」のです。

要所要所で、音楽が右脳に響いて、感情が説得されます。
鎮魂と、許容(受容ではない)の念が、心にストンと落ちてきます。

それにしても、動かされるものと、変えられないものとがありますよね。

ヨノイが首だけ地上にだされた(見せしめ?)セルビアの遺髪を、切り取るシーン。
組織の秩序を守りながらも、どうしょうもない思いをみせるシーン

ラストにローレンスが「わたしなら、あなたを助けることができないわけではない」と言う台詞に被せるように「I'm ready to die(死ぬ準備(覚悟?)はできている).tomorrow morning」とハラが言うシーン。
お互いに、分かりあえないのがわかって、その人が己の信じる道を全うするため、死を尊重するしかないやるせな。
不器用なハラが、精一杯気持ちを伝えようとする「メリークリスマス、Mr.ローレンス」とくり返すぎこちない笑顔と言葉。
「笑うしかない」という状況なのです。

同胞に「俺だったら、ハラきりしているよ」と言われながらも、見せしめにされるセルビアを見張るローレンス。
そして、ローレンスだけが生き残った現実。
己の道を貫いて、生延びるのが正しいのか、死をもって自分の道を貫くのか?

戦いは、それぞれの「正しいこと」のみを貫こうをする時に、起きることなのでしょう。
己の信じることをまっとうする姿が、鋭利な刃物のように、美しかったりするのかもしれません。

「わたしが正しいんだー」と主張したくなった時に、♪チャララララ♪と頭の中に響きそうです (ー_ーゞ

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2013年03月22日

愛のコリーダ 大島渚監督

ご近所の名画座で「大島渚監督追悼上映」をしていたので、「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」を見てきました。
あの「阿部定事件」を題材にしている!ときいていたので、たいそう下世話な興味を抱き、映画鑑賞にでむいたのです。


少なく見積もって、全編の8割は、おふたりが情事をしています!と言う映画でした( ̄▽ ̄;)
匂いたつような官能が、スクリーンから漂ってきました

最初は、料亭の旦那が、新入りの女中さんに手をだして・・・、というよくある話です。
「攻める男」「受ける女」という構図でした。

それがいつしか、定の一途さ、狂気、独占欲によって「攻める女」「受ける男」に変わっていきます。
どれだけ、女性が無茶をしても、受入れる男性の懐の深さが強調されています。
大島監督は「男女の究極の情愛」を描いたようで「男の美しさ」を描きたかったのかもしれません。

そして、男は女に絞め殺されることも、受入れるのです。
色々な解釈があるとは思いますが、あのふたりは、行き着くところまで、行き着いて、幸せだったと思います。

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2013年01月17日

 映画『アルマジロ(ヤヌス・メッツ監督)』公開直前トークイベントに行ってきました

2013年1月15日に、渋谷アップリンクで開催された「先行上映会」に行ってきました。
「戦争映画のドキュメンタリー」「オウムのドキュメント『A』『A2』の森達也監督が、トークショーのゲストとしてこられること」に惹かれて、渋谷までおでかけしてきました。

感想を端的に言うと「これも、戦争か?」でした。

「アルマジロ」は、デンマーク映画で、デンマークには徴兵制度があって(と、見終わってから知りました)、それにしたって「沢山のことを学べる。大きなチャレンジだし、冒険でもある」という理由で、あえて危険な任務を選ぶことに違和感を覚え。

さらに、映画にでていた徴兵された若い青年(兵士)たちが、任期が終了したあとに、ひとりをのぞいて「アフガンに戻った」「アフガンに戻りたい」と言っていることに、「何で??」と疑問を覚えました。

その間をつなぐ映像はリアルなのですが、どこか現実感がもてませんでした。
戦場(緩衝地帯なのでしょうが)にいたって、日常の延長にいるというか。

インターネットでエロサイトを見て、興奮する兵士たち
家族とケータイで日常的な会話をする兵士たち(その背景には、戦場が広がるのですが)
最前線にいても「早く戦闘がしたい!」というようなことを言ったり。

そんなに刺激が欲しいのでしょうか?

わたしが、日本でみてきた「戦争」は、悲惨で、空腹で、しんどくって、悲しくて、無力で、無様で、でも、芯の通った揺るぎなさのあるものでした。
そのように、洗脳されてきたのかも知れません。

それに比べて、このデンマーク兵たちの軽さは、いったい何なのでしょうか?

「これも戦争なのか?」
頭から、この疑問が離れません。
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2013年01月14日

映画『ニッポンの、みせものやさん』奥谷洋一郎監督

新宿の「K's cinema(ケイズシネマ)(新宿ケイズ・シネマ)」で映画『ニッポンの、みせものやさん』奥谷洋一郎監督をみてきました。

寺山修司の作品、丸尾末広の少女椿にでてきた「見世物小屋」に興味津々で。
怖いものみたさ、異系への憧憬、醸し出されるアングラな雰囲気などに、惹かれました。

でも、であうことが叶わず、すっかり熱も冷め、忘却の彼方に飛んでおりました。
別の映画を見たく「K's cinema(ケイズシネマ)」さんのホームページを見ていたところ「ニッポンの、みせものやさん」を見つけてしまい、「見世物小屋」熱がぶり返しまして。

「見世物小屋」を知るよいチャンス!と、新宿までおでかけしてきました。

『ニッポンの、みせものやさん』は、「見世物小屋」の歴史、仮設興行の遷移の概要がわかり、そこで生きる人々の生活が垣間みれて、好奇心が満たされました。

上演後のトークショーで奥谷洋一郎監督が「大寅興行社さんも、商売上手なところがあって」「ぼくたちは、子供扱いされていたところがあって」と、おっしゃっていました。

確かに
「裏社会の方たちは絡んでいないのですか?」
「みんな一緒に暮らしていて、男女関係がすごいことになりませんか?」
「映画『エレファントマン』を見て、どう思いますか?」
「大夫さんは、どのような一生を送るのですか?」
など、自分が知りたくてしょうがない部分に、突っ込んでくれない残念感はあるのです。

奥谷洋一郎監督自身も、撮り足りなかったと、感じている部分があるのかも知れません。

それを含めても、おもしろかった。

ほんものの「見世物小屋」を見にいく!そう決意しました( ̄^ ̄)ゞ

posted by けいけいあかか at 11:18 | Comment(0) | 映画のレビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

ぼくらの☆ひかりクラブ 下[中学生篇] 古屋兎丸



さて、2012年末にであってしまった「ライチ☆光クラブ」の前日譚の後編です。

滑川が、ゼラになる、タミヤがタミヤのままでいる過程が描かれています。

ゼラ(滑川):大人になんかなりたくない×3 感情とか気持ち悪い 愛とか気持ち悪い(中略)機械になりたい 体も心も 決して傷つくことない完璧な機械に・・・
ジャイボ:綺麗じゃなくなったら、ゼラに捨てられる・・・いらないよ・・・ゼラの心を奪うものなんて・・・全部いらない
タミヤ:俺は成長を否定なんてしないぞ!!父さんも母さんも大好きだ!汗かいて一生懸命僕ら家族を養ってくれる 父さんみたいな父親になりたい
(以上、引用)

本人がもって生まれた性格もあるでしょうが、あまり恵まれた環境でないにせよ、親御さんのありようが大きく影響しています。

ゼラ(滑川)が、無責任な父と、悲観的な母のもとで育ったのに対し、タミヤは、愛されて育っています(たぶん)。
それが、ふたりの「成長」に対する姿勢に影響を及ぼしているようです。
ゼラ(滑川)だって、もう少し成長して、世界が広がれば、ましな大人に出会う機会もあったろうに。

ただ、雨宮がジャイボになった成りゆきがつかめないのが残念です。
ライチ☆光クラブの裏番長、影響力、行動力があって、変人さんなジャイボ(雨宮)の人格形成の過程が掴めません。
あの常軌を逸脱した一途な愛情は、何故に生まれたのでしょうか?

ぼくらの☆ひかりクラブ[漆黒の薔薇 ジャイボ編]が読みたいです。

icon_amazon.gifぼくらの☆ひかりクラブ 下[中学生篇]
icon_rakuten.gifぼくらの☆ひかりクラブ(下)[中学生篇] [ 古屋兎丸 ]
posted by けいけいあかか at 22:39 | Comment(0) | コミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月03日

ぼくらの☆ひかりクラブ 上[小学生篇] 古屋兎丸


どれだけ気にいったのか?古屋兎丸さんの著書を読んでいます。
この作品「ぼくらの☆ひかりクラブ 」は、「ライチ☆光クラブ」前進、小学生の頃の「光クラブ」が描かれています。

真実の弾丸タミヤを中心に、小学生らしい秘密結社「光クラブ」が結成されます
そこから光クラブが、完全に「ゼラ」のものになるまでの経緯がわかります。
成長=死
それをしっかり認識しておいてほしい!!
ただし僕たちは例外だ!!マシンが完成したなら僕たちは無敵だ
その時点から僕たちは大人になることはない!!
大人になるまで生きることは大きな罪なのだから
(ゼラの台詞の引用)

10代の頃は「大人」になることに対して、嫌悪感をもちがちです。
わたしも、中学生の頃や、高校生の頃そうでした。
それは、なぜなのでしょう?

思うに「こんな大人になりたい」と言わないまでも「歳を重ねるもの悪くない」と思えるような大人たちが、周囲にいるか、否かの気がします。

わたしは、大学生になって、バイトをしたり、バイクで旅したりで、素敵な大人たちにであうようになって「大人になるのも悪くない」「自分もすてきな大人になりたい」と思うようになりました。

中学生や、高校生の頃は、視野が狭すぎて、素敵な大人の存在に気がつかなかったのかも知れません。

今の自分は、中学生や、高校生からみて「大人になるのも悪くない」
そう思ってもらえる存在になっているのでしょうか?

icon_amazon.gifぼくらの☆ひかりクラブ 上[小学生篇]
icon_rakuten.gifぼくらの☆ひかりクラブ(上(小学生篇)) [ 古屋兎丸 ]
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2013年01月01日

自殺サークル 古屋 兎丸



年末年始に、集中して読んでいる「古屋兎丸本」の第3弾。
「古屋兎丸本」には珍しく、自分を放棄した10代がでてきます。

大丈夫よ 私なんにも感じないから 痛みも嬉びもなにもないから
光子さんはもういないから 私は私と関係するの もうやめたの
(小夜の京子との会話の小夜の台詞の引用)


お話は、新宿駅で54人もの少女が電車に飛び込み、集団自殺をしたところから始まります。
生存者はただひとり――その名は小夜。
集団自殺の生き残り小夜は、「光子さん」に導かれるまま「自殺サークル」を作り上げてゆくのです。
その「小夜」と、彼女の昔からの友人「京子」を中心に物語は展開していきます。

小夜は、自分の関係者であるために、光子が必要になりました。
「自分が自分の関係者」であるために、誰か、何かを必要とするのは当然のことです。
常識の範囲内であれば「友情」「愛情」「親子」「絆」「つながり」と呼んだりします。
常軌を逸脱すると「カルト」と呼んだりします。

それまでは、父や、京子がその役割を果たしてくれていたのでしょう。
ただ、父や京子が機能しなくなり、光子にその機能を求めます

やがて、光子がいなくなり、小夜は、自分の関係者であるのをやめました。
そして、周囲に求められるまま「光子」になりました。

「小夜」は「光子」として「誰かが自分の関係者であるために必要な人」になりました。
それは「誰かが自分の関係者ではなくなる」自殺へと導くためなのです。

「わたしがわたしの関係者」であることが自明で、過剰な自意識をもてあます「古屋兎丸作品」の中で、「わたしがわたしの関係者でない」「誰かが自分の関係者ではなくなる」本作は、異色です。

icon_amazon.gif自殺サークル (Fx COMICS)
posted by けいけいあかか at 21:19 | Comment(0) | コミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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